
1:名も無きひじき:2012/03/20(火) 19:18:00.29 ID:UyJWYAZ50
2ちゃん初心者です。
どなたか聞いてください。
2:名も無きひじき:2012/03/20(火) 19:18:25.20 ID:GOCskHH/0
聞かせて下さい
6:名も無きひじき:2012/03/20(火) 19:20:32.34 ID:1KR5TMgh0
興味あるな
7:名も無きひじき:2012/03/20(火) 19:20:47.49 ID:UyJWYAZ50
ありがとうごさいます
打つのが遅くてご迷惑おかけするかもしれませんが
よろしくお願いします
8:名も無きひじき:2012/03/20(火) 19:28:54.97 ID:UyJWYAZ50
私は宮城で4年ほど新聞配達をしていました。
はじめた当時は私はまだ高校生で、遊ぶ時間が左右されないバイトかなと思って始めました。
宮城って美人多そう
14:名も無きひじき:2012/03/20(火) 19:40:53.35 ID:UyJWYAZ50
>>10
たぶんそんなでもないです
揺れてる最中の素直な感想は「トラックに学校が引きずられてる」
って感じでした。すごい横揺れで教室はがっしゃがしゃになりました。
その後校庭に避難。後各自帰宅という流れになりました。
会議だなんだで、結局学校を出たのは4時すぎでした。
11:名も無きひじき:2012/03/20(火) 19:34:53.59 ID:UyJWYAZ50
すいません、いきなりミスりました。はじめたのは中学からで、バイトとしては高校からで3年です。今、私は18です。
震災の時は部活動ということで学校にいました。
17:名も無きひじき:2012/03/20(火) 20:07:52.07 ID:UyJWYAZ50
もちろん、電車は動いていなかったので、自宅まで10キロ徒歩で帰りました。
途中、仙台駅前を通りましたが、ものすごい人の数で、東北にもこんなに人がいたのか、と思いました。
で、帰宅途中バイト先の新聞販売店に寄りました。
1「明日って新聞来るんですか?」
店長「もちろん、俺たちが配らないでどうすんの?」
1「印刷間に合うんですか?」
店長「どうなるかわかんないから、2時半に来て」
1「…わかりました」
そんな感じで、私としては来ないんじゃないかなー、と思っていたのですが、
上の人の努力のおかげで、なんとか刷れたようです。
普段は未成年ギリギリ4時半出勤の私でしたが、一大事ということでそこらへんは許容してください。
とりあえず、帰宅
家では母が一人片付けをしていました。
私をみるやいなや母は泣き出しそうになって、
「怪我はないか?」「どうやって帰ってきた?」と心配してくれました。
母にバイトのことを言うと
「真っ先バイト先に行くとは、流石1だ。気合い入れて配れよ!」
と激励され、とりあえずその日は、近所にろうそく配ったり、お年寄りを中学校に避難させたりしたあと、寝ました。
20:名も無きひじき:2012/03/20(火) 20:25:25.04 ID:UyJWYAZ50
起きたのは、2時頃でした。
父が帰ってきたのがその頃で、父の会社は仙台空港の近くにあり、自分は出ていたため流されなかったそうですが、車が結構流されてしまっていて、それでも、なんとか車をみつけて、乗って帰ってきたそうです。
父にもバイトのことを話し、行ってこいと激励を受けて私は家を出ました。
外は真っ暗で街頭の光もなく、ミーハーですが、星がかなりきれいだったのを覚えています。
私は誰もいないボコボコの道路をカブで疾走し、バイト先に行きました。既にタンク半分以下のガソリンでしたが、
その時はまだ、ガソリンの心配なんかはしていませんでした。
支店に着くと、ちょうど、おばちゃんたちが、折り込みを入れていました。
こんなときになんの折り込みかと思えば、12日に配られる予定だったスーパーの普通のチラシなどでした。
何故そんな無駄なことをするのか、と店長に聞きましたが、訴えられると負けるから。みたいなことをいっていました。
とりあえず、私は普段より薄い新聞をカブにつめて自分の配達区へと向かいました。支店から配達区へは3キロ程度です。ちなみに部数は170くらい。
30:名も無きひじき:2012/03/20(火) 20:44:36.00 ID:UyJWYAZ50
さっきも書きましたが、まだガソリンの心配など、考えでもいなかったので、カブで普段通り配りました。
でも、街頭0というのはかなり暗く、テンションもだんだん低くなっていくんです。
「ああ、たくさんの人が死んでるのに、俺は普段通り新聞なんか配ってていいのだろうか」
そんな考えが浮かんでは消えたりしました。
配達も半ば、一件の家の前におばあちゃんが立っていました。
特に配達する家ではなかったので、挨拶程度にスルーしようとしたところ
おばあちゃんが私を呼びました。
おばあちゃん(以下お)「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
1「はい?」
お「あんた○○さん(新聞名)だろ?」
1「そうですけど」
お「申し訳ないけど、新聞一部売ってもらえないかい?」
ここはノーというのが正解だったとは思います。
でも、そのおばあちゃんが、一昨年に死んだ曾祖母にどことなく似ていて
私は放っておけない気持ちになりました。
うちも同じ新聞をとっていたので、そのぶんをおばあちゃんにあげました。
おばあちゃんは「テレビもつかないし、うちにはラジオもないし、すごく助かった。」と、お金を出してきました。
そこで私は、急にイケメソぶりたくなって、
「お金は結構ですから、私が困った時は助けてください」
と言い残し、その場を去りました。
40:名も無きひじき:2012/03/20(火) 21:09:51.17 ID:UyJWYAZ50
ちょっと良いことをした気がした私は、少し明るい気持ちになって配達を続けました。
配達も終盤の頃、配達する家の前で貫禄のある感じのおばちゃん(Aさんということで)が、立っていました。
1「おはようございます」
A「おはようございます、ご苦労様です」
1「ありがとうごさいます、はい新聞です。」
A「こんなときでも新聞はちゃんと来るんですね」
1「僕も驚きましたよ」
と、暫しの情報交換。
私は、学校帰りに街の様子を見て知っていたので、その話を少ししました。
しばらく話していると、Aさんが「あ、そうだ!」とジャガイモとアクエリアスを持ってきて「これ、良かったら」と差し出しました。
私はAさんの家には、男の子が三人いたのを知っていたので断りましたが、「子供が遠慮するんじゃないよ」と私にジャガイモとアクエリアスを持たせ家に入っていきました。私は公園で一人アクエリアスを飲み、家に帰りました。
44:名も無きひじき:2012/03/20(火) 21:25:04.32 ID:UyJWYAZ50
家に帰って両親にそのことを話すと、
世の中捨てたもんじゃないな、と喜んでくれました。
うちの新聞もないとちょっと困ったので、支店に行って雪でちょっと濡れた奴を貰ってきました。
身の回りのことに関しましては
うちは両親ともに飲食関係の仕事をしていて、食べ物には困っていなかったので、
牛乳とかヨーグルトとかその他消費できないものとかを近所の人に軽く配って歩きました。うちだけが、そんなかんじではなく、仏壇のある家はろうそくを配っていましたし、互いに片付けの手伝いとかをしあっていました。
あ、ちなみにうちはマンションです。
水は、飲み水は近所の児童館から、トイレの水は近所の沼から汲んで使っていました。トイレ用の水は家にあったポリかんで運んでいたので、会う人みんなに「その灯油はどこで買ったのか?」と聞かれました。
マンションの6階まで毎回36キロづつ、水を運びました。
52:名も無きひじき:2012/03/20(火) 21:31:09.80 ID:Sxir43Vv0
>>1のペースで気の済むまで語ってけ
おっさんはゆっくり見てるから。
関西なもんで3泊4日の1回しかボラ行ってないんだ。
でもなんとか今年も役に立てそうなことがあれば
嫁と二人でまた行きたいと思ってる。
そっちの大変だったことは絶対に忘れてないから。
63:名も無きひじき:2012/03/20(火) 22:00:57.75 ID:UyJWYAZ50
>>52
ありがとうごさいます。頑張ります。
えーと、あくまで津波被害などはなかったので、
身の回りのことに関してはあまり不自由はありませんでした。
ライフラインは止まっていましたが、そこはみんな同じなので我慢です。
むしろ私のような人間が、被災者きどりをしているのが大変申し訳ないくらいです。
ですが、あくまで、沿岸部以外はどんなもんだったのかをちょっとしっていただきたかったもので。語らせていただいています。
さて、話しを戻します。
12日は、父の車で父の会社の片付けを手伝いにいきました。
みなさんご存知の通り、仙台空港があの被害ですから、近場にあった父の会社も流され、骨組みだけになっていました。
あと、父に確認してきたのですが、車は偶然いつもと違う駐車場に止めていて、流されるほどではなかったそうです。
ただ、同僚の人の車などは流されてしまって、それを探したり、乗せて帰ってきたりしたそうです。
余談ですが、震災の時、機械おんちな父から初めてきたメールは「大丈夫!」という内容でした。電話が繋がらす、初めて打ったメールは?の出し方がわからず、なんか偶然出た!をつけたそうです。
それはそうと、海沿いの被害は凄まじく、そこらじゅうが、泥だらけで普通の道路でも貝でも採れそうなくらい埋もれていました。
海から4キロくらい?離れた田んぼも、3月なのに水が張ってあっておかしいな、と思ったら、海水が川や用水路を上ってきたんだそうですね。
片付けの手伝いに行ったわけなんですけども、もうすでに片付けるものもなく、救急車と消防車、自衛隊とがあちらこちらで動いていて、父も同僚の方が石巻に行ってて連絡がつかないとかで、無言で帰りました。
帰る途中、高速道路を走る、救急車、パトカー、○崎パンのトラックなどを見ました。(もしかしたら13だったかもしれません)
目に入ったのは救援物資の文字。そのとき私は、○崎パンかっけぇー!
とかなりテンションが上がったのを覚えています。
ちょっと新聞配達関係ない話でしたが、まぁ余談としてお願いします
68:名も無きひじき:2012/03/20(火) 22:41:11.86 ID:UyJWYAZ50
新聞配達員の話ということでしたが、13日は週休の日だったので、
休みました。結構罪悪感があったんですけど、
なんでも13日は何故かうちの支店は休刊だったらしいので(ガス漏れ等あったせいかも)結果オーライといえばそんな感じでした。
13も、水汲みの往復と部屋の片付けで終了
ラジオでは推定で二千人ほど死者が出るとかなんとか
そんなに出ないだろー、と内心思っていましたが、行方不明者混ぜて実際
そのくらいになってしまいましたね。
原発に関しては、雨にあたると被爆するとか、
関西に逃げた方がいいとか、そんなチェーンメールがいっぱい
回ってきたりしました。携帯は車で充電できたので、
クラスのみんなでメールを回しあって安否確認。
海沿いの連中はみんな返信が来なくてダメかと思いましたが
なんとか、みな無事でした。
原発事故の報道をリアルタイムで聞いていないので、
ちょっと詳しくは覚えていないですが、みんな正直それどころではなかったようです。
14日
朝3時半頃、バイトに行きました。
その頃はカブのガソリンが早くもピンチで、坂道はエンジンを切って走りました。なにぶん坂が多いので、支店から配達区へはカブで運び、
そこからは歩いて配りました。ぐるぐる回ると6キロくらいにはなるので
結構しんどかったですが、待っている人がいる訳ですから、頑張れました。
配達も半ば、道で一人の女性と会いました。
女性は30代後半くらいで、おばあちゃんが着るようなちゃんちゃんこを着ていました。この女性(Bさんということで)が私に話かけてきました。
B「すいません」
1「はい?!」
めっちゃ暗くてかなりビックリした。
B「ジャ○コはどっちにありますか?」
1「ここを真っ直ぐいって左ですけど、なにかしたんですか?」
B「ジャ○コなら二十四時間やってるかも、って聞いて○○(8キロくらいある)から歩いてきたんです」
当たり前に考えて、そんなはずはないです。
ただ女性は「どうも」というと、そそくさと行ってしまったので
引き止めることもできず、どれだけその女性が落ち込んでかえっただろうと
考えると今も悪いことしたなぁと思ったりします。
その後は無事に配達を終え、家に帰りましたが、カブのガソリンが尽きそうな感じだったので、近くのガソリンスタンドに並びました。
原付だと話しかけやすいのか、たくさんの人と話しました。
中には「寒いだろうから、車に乗ってな」と乗せてくれる人もいました。
ですが、そのガソリンスタンドは結局開きませんでした。
情報が少なく、みんな藁にもすがる思いだったと、思いますが、
昼には散り散りになっていきました。
69:名も無きひじき:2012/03/20(火) 23:00:52.68 ID:UyJWYAZ50
その後も特に変化もなく、朝はバイト、昼は水汲みや中学校にいって
お年寄りと話たり、夜は寝るという日々をしばらく続けました。
ボランティアに行きたかったのですが、本部が遠いのと、大食らいの私が行ったら
逆に迷惑かもしれない、と考え、自分にできることをひとまずやることにしました。、
電気が復旧したのは5日目か6日目だったと思います。
そのとき私は、下の街の方では電気が復旧している。と聞いて
自販機のジュースでも買いに行くか。と考え
もう夜でしたが、自転車で出かけていました。
街の方はすでに電気が復旧していましたが、
自販機はすべて買い占められていました。
それはある程度予想していたので、電気の光を感じられただけで十分でした。
裏道にぽつんとあった自販機に売れ残ったコーヒーがあったので
とりあえず、買って帰りました。
帰り道、しばらく自転車で走っていると、後ろから急にボンっと音がしました。
何かと思って振り返ると、遠くから順番に街頭が点灯してきていたのです。
そこからは私と街頭とのレースでしたね(笑)
私は、嬉しくては「電気がついたぞー!」って叫びながら
街頭の光に負けじと自転車で爆走しました。
あれほど、テンションが上がったことは未だかつてありませんでした。
でも、奴ら速いのなんのって、
あっというまに抜かされて、坂の上の方に向かって街頭やら信号やらが
どんどんついていきましたね。花火とまではいきませんがそんな感じではありました。
その後も、叫びながら疾走し、マンションも全階回って叫び、
最後に家に帰って寝ていた両親をたたき起こし家のブレーカーを上げました。
家電等が少々暴れ出してテンパったのもいい思い出です。
73:名も無きひじき:2012/03/20(火) 23:27:57.92 ID:UyJWYAZ50
続けますが、ちょっと端折って進めます。
私の体験した若干不思議な話です。
76:名も無きひじき:2012/03/20(火) 23:43:29.06 ID:UyJWYAZ50
16日
新聞配達を続ける上で、ついにカブのガソリンが0になりました。
0といってもメーター上での0ですから、ちょっとは走るだろうと、いつも通りカブで新聞を運びました。
そして配り終えて家に帰るときもカブに乗りました。
推定5~6キロ程度の距離です。
次の日もカブに乗りました。
同じく5~6キロです。
なーんだ意外と走るじゃんと、次の日もカブに乗りました。
次の日も、また次の日も、結局22の昼にガソリンを入れるまでの一週間。
カブは走ったんですよ。途中なんども燃料タンクを覗きました。空なんです。
空の状態から、40キロ近く走ったカブ。
今月にバイトを辞めたのですが、翌日カブは全くエンジンがかからなくなりました。バイク屋さんは「古いから全体にガタが来てる。乗るなら直すけど買った方が安いかも」とのこと。なので原因は不明です。
そのカブは代々高校生の新聞配達員に使われていたもので、20年くらい前のらしいです。
私は、非科学的なものはあまり信じないんですが、どうなんでしょうね。
98:名も無きひじき:2012/03/21(水) 23:11:34.50 ID:P+ykkIK4O
>>76
じーさんの古時計思い出した
78:名も無きひじき:2012/03/21(水) 00:00:58.94 ID:UyJWYAZ50
電気が復旧してからは皆情報をテレビや、ネットなんかで見るようになり、毎日玄関で新聞を待っていた人もいなくなり、普段の配達に戻っていきました。
それどころか、新聞をとるのをやめる家庭が町内で150件くらいにのぼり、
商売あがったりだ。と店長はぼやいていました。
私の持っている区も170前後だった部数が最終的に150後半となり、
引っ越した家や、取り壊しになった家も多数あります。
新聞配達員としては震災直後より、
しばらくたってから影響が出た感じですね。
79:名も無きひじき:2012/03/21(水) 00:03:06.40 ID:EnG+fUFo0
なんでだろう。倹約しなければいけないから?
・・・読む人が少なくなったから、だと悲しい
81:名も無きひじき:2012/03/21(水) 00:10:53.06 ID:VaF1nAXa0
>>79
その理由が大きいと思います。
ちょっと悲しいですよね
82:名も無きひじき:2012/03/21(水) 00:23:19.36 ID:VaF1nAXa0
そろそろ締めですかね。
そんなこんなで高校生活を捧げた新聞配達も、今月を持って辞めた訳ですが、
社員さん、おばちゃんたち、みんな悲しんでくれました。
毎日会う購読者の方も、寂しくなると言ってくださって、私は本当にいいバイトに巡り会えたなと思います。
最近、被災地の新聞会社がとりあげられ、ドラマ化もしました。
私はあのドラマを見て、涙を流すとともに
記者だけではなく配達員もがんばっているということを伝えたくて
ここに来ました。
あの日、あの時間ですから夕刊を配っていた人もいます。
翌日から走って配った人の話も聞きます。みんな読者の方に届けたい一心で配り続けたと思います。
スポットライトは当たってないけども頑張った人がたくさんいます。
みんな頑張ってる。頑張ってるぞ東北!
93:名も無きひじき:2012/03/21(水) 14:26:40.62 ID:89b4soF70
>>82
>みんな頑張ってる。頑張ってるぞ東北!
泣いた…。
こんな話を聞けて良かったよ、ありがと。
カブってのはさ、めっちゃ燃費が良くて壊れにくいので世界的に有名なんだよ。
普通に走ればガソリン1リットルで60kmも走ってくれる。
(昔、カブとほぼ同じエンジンのゴリラに乗ってた時がそうだった)
ガソリンタンクが空でもキャブまでのホースやキャブ内のガソリンもあるから意外ともつ。
最後に動かなくなったのは、ガソリンが完全に終わったのでエンジンが焼き付いたんだろうね。
でも、よくそこまでエンジンがもってくれたよね…
きっと>>1が頑張ってたからカブも頑張ったんだと思う。
いい経験したね。
83:名も無きひじき:2012/03/21(水) 00:26:09.08 ID:VaF1nAXa0
こんな私の拙い文章を最後まで読んでいただいて
本当にありがとうごさいました。
84:名も無きひじき:2012/03/21(水) 00:32:20.58 ID:cPsvoiGv0
お疲れ様。
書いてくれてありがとう
85:名も無きひじき:2012/03/21(水) 00:46:21.54 ID:nWGHib2e0
おもしろかったよ、ありがとう
86:名も無きひじき:2012/03/21(水) 01:14:39.02 ID:K+6Tbmf80
ありがとう。
1日も早く、当たり前が戻りますように。
87:名も無きひじき:2012/03/21(水) 01:21:48.57 ID:fGsL3JH00
いい話だったっていうのは適切じゃないかもしれないけど、聞けてよかった。
幸多かれ。
88:名も無きひじき:2012/03/21(水) 01:56:00.15 ID:S/XAHDmJO
聞かせてもらえて良かった。
体に気を付けて新しい進路で頑張って下さい。

コメント一覧
店頭で無料で配っていた新聞を頂いたわ
普通に走ればガソリン1リットルで60kmも走ってくれる。
高校生とかが買って乗るカブにはそのくらいの燃費のもあるみたいだけど、新聞配達で使うカブはそんなに持たないよ。バイトやってるけど、走行距離2万5千の奴で満タンにして100km切ってる。
めちゃくちゃ嬉しかったんだろうな。
んであれだ、人間はちょっとしたことで幸せになれるんだって
改めて思った。
ありがとう若者よ。幸あれ。
おじさん感心しちゃたよ
そういえばあの日の夕刊来なかったなあ
カブってすごいんだなぁ
岩手の内陸だけど、本当に嬉しかったわ
電気が止まって、通信・水道・信号などの交通などのいろんなインフラがやられたからな
街中を散歩してる最中に自分の住んでいる周辺の住宅街の街灯が遠くから見えたときは本当に感動したわ
子供みたいに走って帰宅して、隣の家の奥さんが外にちょうど出てたから『電気復旧しました!?』って興奮気味に言ったのを今でも覚えているわw
地震直後なんて帰宅途中に近所のおばさんが『電気は1ヶ月復旧にかかるかもね』みたいな会話してるの聞こえてきたし、本当にどうなるんだろう状態だったしな
俺も12日の夕方、大学の寮に水を汲みに行って
アパートに戻って直ぐまた出かけようとしたらタイヤがパンクしていた
カブを離れて1分もたたずに戻ってきたのに既に後輪の空気は抜け切っ
ていて驚いた。アパートに入る時のきついコーナーも違和感無かったし
降りる時やペットボトルを下ろすときも問題なかったのに。
15日にバイク屋に持って行きチューブを出してみたら側面が裂けていた
荒れた道を通ったとは言えパンクの感触も無く破裂音も無かった、不思議
なもんだってバイク屋のおっさんに話したら
「非常時だったからカブもがんばったんかもね」と言われ
「最後の力で俺をアパートまで運んでくれたのかもしれないですね」
と返し、どこかでパンクしながらも俺を運び通したカブに感謝し
チューブは捨てずに記念としてもって帰った。
ホンダドリームを改めて実感させられた。
ちなみに満タンでも4ℓしか入らないために、こっそり給油させてくれるGS
が結構あった。
いろんな立場の人ががんばってるんだな
※17
カブにとってもいい乗り手だったんだろうな
エンジンオイルが無くなっても50キロは何とか走れる
ってうわさのカブだ。たぶん直す方が早いって言われたのは
バイク屋目線での言葉であってガソリン入れてキャブにちゃんと流せばエンジンかかると思う。
2012製~は生産国中国になったんで
カブ神話はもう終わりだろうけどね。